スライムびより(ナスビもね!)

IT(笑)やら日々の生活の小ネタ。時に風物を取り上げることも。

3年ぶりの鉄道利用~駅の賑わいはいずこに

3年前の9月24日が最後だったんですねぇ。ナスライム(仮)です。

すすきの穂にも秋を感じナスね

一昨日、9月26日のことでしたが。お仕事の関係で、ナスビ王国からオリンピックシティこと長野市を往復してきました。朝一番(8時)くらいに到着したかったのですが、朝ラッシュ、長野市内の渋滞は激しく、ナスビタウンこと松本市ほどは道を知らないこともあって、電車にしたのです。

出発点、最寄り駅の関山か、隣駅の妙高高原にするかがまた考えどころになるわけです。北陸新幹線の金沢延伸時に、この区間はJRから分離され、2つの第三セクター会社に引き継がれました。妙高高原駅が境界駅です。

今回は関山発着を選択

JRからの経営分離後、この区間の運行は妙高高原駅で完全に分断され、関山発着にすると間違いなく妙高高原駅での乗り換えが必要となります。それでも、接続は「最大限」考慮されているであろうと判断したのです。

関山駅。何年ぶりかもおぼえていないナス…

あと、ナスライムは血圧が低いので。妙高高原駅もそんなに遠くはないのですが、朝から運転する距離は短くしておきたい、というのも理由ですが。いや、何より「久しぶりの電車だし」というのが大きかったんですね。

最後にこの駅を利用したのは2016年12月、糸魚川大火のとき以来かななんて感じですし、まず間違いなくロングシートの電車なんでしょうけど、なんというか「のりものだいすきナスビ」の血が騒いじゃったのでした。ええ、結局はそこなんですけど。

秋を感じるジョロウグモさん

前置きが長いですね。というわけで隣駅の妙高高原までのきっぷを自動販売機で購入しました。280円でしたが、JRのときは190円とかそんな感じだった記憶がありますので、その記憶が正しければ1.5倍になっています。ちょっとびっくり。

電車にのりますよ…!

そうは言っても、妙高高原と長野の間は、北しなの線に有効な1日有効のフリーきっぷを購入しています。こちらは1220円ですので、トータルしても2000円は行っていません。関山から長野、JR時代は片道740円とかだったんですよ、という話はしないでおきますね。してますけど。

でんしゃきました

というわけで、電車が来ましたので乗車します。所要時間はたぶん8分とかそんな感じ。妙高高原駅ではなぜか1番ホームに入ったので、ふるーいつくりの跨線橋をわたり、長野行きの列車に乗り換えます。

レトロな座席。

新し目の電車を使っているえちごトキめき鉄道と違い、しなの鉄道北しなの線国鉄型のふるーい電車(115系)を使っていました。これはほんと、オリンピックシティへの通勤とかでさんざん乗ったタイプの電車です。

妙高高原駅発車時点ではそんなに乗客はいなかったのですが。隣の黒姫駅あたりからはそれなりの人数が乗車してきまして、牟礼駅くらいから立ち席の乗客が目立つようになってきました。長野市方面への通勤・通学の足となっているんでしょう。

長野駅の変貌にあらためてびっくり

この電車は定刻通り7:37に長野駅に到着。もしかして乗り継げるかも?と淡い期待を持っていた7:40のバスには間に合わなかったので。ベンチに座ってふと目線を上にもっていきました。

首都圏とかにありがちな風景に見えたナス

長野駅、新幹線の長野開業と金沢延伸、それぞれにあわせて2回駅舎の改築を行っているのですが。なんというか、ずいぶんと垢抜けた印象になりました。仏閣を模した駅舎の時代とはえらい違いですが、これも時代の流れなのかも知れません。

往時の面影をしのぶ(妙高高原

で、お仕事を済ませ(実は終わらなかったので来週もう一回訪問の予定)帰路。「最大限」考慮されているはずの妙高高原駅での接続がダメダメでした。

利用客の少ない時間帯ですので間引くのはやむを得ないところですが、1時間ほどの待ち時間が発生しちゃったんですね。まあ、そういうときも楽しむのがナスライム流です。

出口の表示、複数言語化済み

これはJR時代の看板と思われるのですが、妙高高原駅は観光地の表玄関的存在でもありますので、案内表示が日英(これは翻訳ですが、駅名等の場合英はラテン文字転写ですので欧州系言語はほぼ対応)のほか中韓入った4言語になっていました。

というわけで、ここ「出口」となっていますが。その昔、この駅を始発・終着とする優等列車が運行されていた時代は、ここ、入口専用としても使われていたことがあります。

少なくとも3ブースは運用できたっぽい

特にスキーシーズンは、たくさんの乗客をさばく必要がありましたからね。出口はというと、はい、上の写真の奥の方にこんなスペースがありまして。

ここが出口として使われていました

今はまったく使っていないと思うのですが、ここが出口でして。降りると目の前にタクシーが並んでいた感じでした。更地が目立つ駅の向かい側も、飲食店やお土産物屋さんが並び、とても賑わっていたのです。

なお、旧妙高高原町企業城下町的な側面も持っていたかも知れません。駅の直ぐ側に大きな企業の本社や生産拠点があったりして(今もあります)、そちらの利用客もそれなりにいたのかな、と推測していますが、正直往時を知る人が減ってますのでよくわかりません。

やっとトキ鉄の電車が動きました!

そうこうしているうちに、乗り継ぎ予定の直江津行き列車の出発時間も近づいてきましたので。長野からの列車が到着した時点では既に入線済みだった列車に、あらためて乗車します。

そうこうしているうちに関山駅に到着。1985年に現在の本線上に移転するまでの旧駅舎はかなり立派なものでした。今は家が建っている旧駅舎跡地ですが、そこの話も機会があれば、書こうかと思います。残念なことに、当時の写真等は残っていないんですけど。

tour.taitung.gov.tw

あ、このリンクはお遊びです。臺灣鐵道の關山ですので、本文とは無関係です。

ナスライムでした。次回以降ナスビ王国に行ったらかなり忙しくなりそうナス!